世界樹Ⅴセリアン娘がフェンサーになった経緯

私は、何かになりたいと想い続けている。
この地、山都に都市を築いた開祖は数多の伝説を残している。その伝説を寝物語に育った私にとって、何かになりたいというのは自然な欲求だった。

両親が優秀な狩人なこともある。山都の狩人は、険しい山岳での狩りに犬や鷹を伴わせる。彼らをけしかけて獲物を疲れさせ、仕留めの矢を撃つための技術が、伝統として伝わっている。伝説の開祖が築いた偉大な都市で、洗練された狩り技を受け継ぐ偉大な父と母は私の誇りだった。
それに比べて私はどうだろう。

 

朝方、私ことエスィルトはいつものようにネッサンを伴って鹿を追った。山都の回りに広がる大森林は深く黒い森だ。早朝で薄暗いというのを除いても、途切れ途切れにしか光が差し込まないこの森は夜めいて暗い。
ネッサンは父母の駆る猟犬の仔である。未だ若いながらも驚くべき俊足で鹿を翻弄する。私は犬笛を吹き、"鹿を私の正面に追い立てろ"という意思を伝える。分かったのか分かっていないのか、ネッサンはオンと吠えた。細かく笛を吹き、私が位置を変えたことと、追い込み先を通知/ネッサンは咆哮。そして仕上げの瞬間がやってくる。そこかしこに噛み傷を負った鹿が、目の前の獣道を一目散に駆けてきた。正面の樹木の枝には私という弓手が控えているとも知らず。狩りの成功を予感して、しかし特段の感慨も湧いてこない。失敗要素が少なくないのもある。私と鹿は斜めから撃ち下ろす形になるため、タイミングはややシビア。加えて私は、自慢ではないが弓の腕に自信がない。一撃で眉間を貫く気などさらさらなく、数を撃つつもりで矢筒にはありったけを仕込んできた。
ネッサンを射るのは御免なので、鋭く笛を一吹き/"止まれ"と伝える/応じて猟犬は咆哮。
ネッサンが加速して、鹿の右後ろ脚に食らいついた。思わず舌打ち。何をしているのだ。予定が狂った事に焦って、警告の意志を含めて笛を吹く/だがネッサンは離れない。
深呼吸して状況を確認/ネッサンの位置は私からは死角/矢が刺さる心配は無し。これを狙っていたとしたら、ネッサンは私よりもよほど賢いと感心。ならばあとは私が当ててのけるだけ——だが外す。頭蓋狙いの一矢は角に弾かれ、次いだ第二、第三射も首や胴に当たってしまう。あれでは殺しきれない。脳を破壊しなければ。

「まずい」

知らずおめきが漏れる。位置が良くない。鹿は速く、巨大な質量を伴って真正面から私の立つ樹に向かっている。脳を破壊して次の一歩を止められなければ、鹿が樹に衝突する/私は衝撃で樹から振り落とされる。そうして首を折り、死んだ知り合いもいる。
焦って放った矢は掠りもしなかった。早鐘を打つ心臓を自覚しながら、次の行動を検討/高いため跳び降りるのは不可能/跳び移れる樹は無し。手詰まりを自覚し、消極的手段を選択——幹にしがみ付いて衝撃に耐える。次からは縄ひもを持って来て命綱にしようと愚痴りながら。
鹿は口から泡を吹いていて、目を血走らせている。その速さでぶつかったらお前も死ぬだろうと舌打ちしたい気分だが、後ろ足に猛犬が噛みついた状態で冷静に考えられるかと言われると同情する。そういう意味でも狩り技に犬は必要だが、今回は都合が悪い。
ついに鹿は樹にぶつかった。衝撃が枝を伝って襲い来る。これは自慢だが私の体幹は強靭だ。幹にしがみ付いていれば落ちることはないと見積もり、その通りの結果に至る。
しかし/加えて予定外の事故。衝撃が樹を揺らしたことで、鼻に何かが落ちてきた。葉を食んでいた多足の毒虫だ。声にならない悲鳴をあげて虫を払うと、安定を失った私の体は落下した。
そういう次第で、私は樹から落ちる。落下までの数瞬で、樹表を殴りつけて姿勢を変更/肩口から落ちる姿勢を確保。そして、恐ろしい事にまだ生きて暴れている鹿の背でバウンド、着地。
運よく生存していたことに安心/予定が大幅に狂ったことに舌打ち。割れた額から流れる血が目に入るのは一旦無視して正射姿勢を取り、発射。幸いにネッサンには当たらず(私の腕前からするとこれは幸運だ)、矢は横合いから頭蓋骨を貫通した。
負傷は多いが、ともあれ狩猟成功。これが今日の始末だった。

 


鹿をその辺の沼に放り込んでから血抜き・解体をしている間も、私とネッサンの間には気まずい空気が流れていた。ような気がする。彼が生まれて以来の相棒だが、いまだにネッサンが何を考えているのか分からない。諸々の作業をこなすうちに太陽は中天に登っていたようだ。黒い森の外は色も分からないほど真っ白にハレーションしている。
視界の激変にくらくらしながら山都へ辿り着き、城門でケガを心配されながらも山都に入る。肉と皮と角は、我ながら綺麗に解体できたので悪くない値が付いた。内臓だけは足が速いので、市場には流さず狩人が食すのが通例だ。酒場などから発注があれば卸すが、今日はそれもない。狩人街区へ内臓を洗いに行く必要があるので、こちらの方が面倒が無くてよい。そういう次第で荷物は減ったが、一番生臭い荷物はそのままだ。
そして、額の様子などを見てもらうために幼馴染の所へ足を向ける。施術院では検査だけでも金をとられるので、自分で確認できない箇所だけでも見てもらうためだ。両親が在宅ならそちらに頼むが、この時間だと彼らは元気に山野を駆けまわっている。幼馴染に頼みに行くのが、最も都合が良い。狩人街区に入り、幼馴染のギザンが住む家へ足を運ぶ。彼は狩人ではなく武人であり、衛兵として職を得ている。今日は非番だと事前に聞いていたのだ。
私の格好を見て血相を変えたギザンに顛末を伝えると、彼は以下のような言葉をかけてくださった。

エスはどんくさいなあ。ネスがやりたいことも分かってないから連携が下手なんだ。そうだろ?ネス。体格は良くて体幹もブレないのに勿体ない」

ネス、つまり私の猟犬ネッサンが、彼に向かってオンと吠えた。朗らかに笑って私をけなす柑橘色の髪色をした少年が、男らしい狼の耳をぴくぴくと動かした。どうやって私をからかってやるか考えるとき、こいつはこうするのだ。
木製椅子に座った私の額をペチンとやり、見たところは問題ないよ、と安心の色が滲んだ声音で言ってくる。
私が座ってギザンが立っていると、ギザンの顔の方が高くにある。珍しい光景だ。

エスって略さないで。私には父さんの付けてくれたエスィルトって名前があるの。そもそも、あなたにネッサンの何がわかるの」

物珍しさから口が滑った。単純に失礼だ。「ごめん、言い過ぎた」実際、私にはネスが何をしたいか分からないのは確かなのだ。
私の志望は、そもそも狩人ではない。餓えるほどになりたい「何か」ではないと、弓を握った時に気付いてしまった。さりとて刀の果てが「何か」だと言えるほどの確信もなかったので、両親の圧に負けて弓の鍛錬をちょろちょろとやっている。おかげで日銭を稼げるくらいの腕は付いたが、根本的には未熟なまま。こんな失敗はしょっちゅうだ。
それに対して、ギザンは武人として身を立てる道を選んだ。武人の技は開祖の開いた戦闘技術の系譜で、私が齧っている狩りの技は生活の必需として生まれた傍流だ。それもまた父祖の道をなぞっているだけと言えばそうだが、自分で選んで自分で進んでいるのだから、私よりもよほど立派だ。
——両親は狩人を継がないことを許してくれなかった。まだ逃げていることは大目に見てくれているけれど、必ず家を継ぎなさいと言われている。兄弟姉妹のいない私が他の道を選んでしまえば、父と母が人生をかけて磨いてきた技は失われてしまうためだ。私もまたそれが素晴らしい技と思うから、気持ちはわかる。
習い性のように唇を噛む。私は茫漠とした憧れを捨てきれないまま、父母の期待に応えようとしている。飛鷹と俊踉を侍らせ、冷徹に獲物を追う私が望まれた姿。しかし、巨大な敵に真っ向切って、不敵に佇む私の(しかしぼやけた)姿が瞼の裏から消えてくれない。
どちらにもなれないまま、どこに行けばいいのだろうと迷いながら、私は弓を抱えて指をくわえている。もう齢は14で、独り立ちも間近なのに。
してみると、確かに私はどんくさい。面倒くさい内面に引き摺られて、ふらふらゆらゆら、動くのも億劫がる豚のよう。
——思考の沼に足を取られた豚を、ネッサンの尻尾がひっぱたいた。
白銀のような体毛の塊が視界を埋める。

「んにゃっ!」

ネッサンを笛で一喝し、"いまのはだめだぞ"と叱っておく。曲芸めいた体捌きは実際凄いと思うが、それはそれだ。当の犬はピスピスと鼻を鳴らしてしらんぷりだ。細めた目が、こちらを見ている。
この犬コロが何を考えているのか全く分からないのも、劣等感の一因ではある。
母は私と言葉を交わすように鷹や犬に意志を伝えてのける。父母の猟友である小父さんから聞くに、彼らもまた、若いころは意志疎通が上手くなかったのだそうだ。狩人になるのだという確信こそが、父母たちをあの高みに押し上げた。それこそ、寝る間を惜しんで犬や鷹と語らいあったという。
私はそんなことしていない。どころか、寝る間を惜しんで開祖の伝説に涎を垂らし、我流ながらも木剣を振るい体を作る始末だ。狩人になるという現実を見ず、「何か」になりたいという夢に逃げている。
私は何もしていない愚鈍な豚だ。だからこそ、猟犬も私に心を開かないのかもしれない。習い性のように唇を噛む。

「ところでさ」

ネッサンの顔を掴んで、口吻越しに目と目で会話してやろうとしていると、出し抜けにギザンが声をかけてきた。
はにかんだような、恥ずかしげな顔だ。これは彼からするとなかなかに珍しい。己の意思表明を恥ずかしがるなどらしくない。以前にこのような顔をしたのは、私の知る限りでは一度だけ。
あるいは、彼も私のように面倒な内面を抱えているのかもしれない。——いや、それはギザンに失礼というものだが。

「俺、次の商隊に合わせてアイオリスに行くんだ」

冒険者になるんだね」

夢を追うギザンの姿はずっと見てきた。何と言っても幼馴染。例の小父さんの息子だ。食卓を囲んだことも一度や二度ではない。"世界樹には伝説の武がある"と猛り、挑み散った山都の民(セリアン)は数知れず。俺こそが世界樹を踏破する。彼らの遺志を果たすのだ。猛々しく発するその言葉こそが幼いギザンの口癖だった。彼は今でもその意思を捨てていない。

「退職するときはちゃんと連絡しなよ。ふいっと居なくなったら絶対追手が付くよ。鍛錬を積ませてやって給金も与えてやって、じゃあやめますなんて通らないでしょ」

「あー追手はそうだね……。まあ最悪でも殺せないことはないと思うからいいよ。そこで死んだらそれまでってことで」

世界樹に行く場合は山都だと死人扱いになるから手続きは簡単だって、お父さん言ってたよ。あんまり物騒な事いうのやめなさい」

なかなか悪辣な事を言っていると思ったが、こいつはこういう奴なので驚きはない。言い含めはしたが、ちゃんと手続きするかは怪しいものだ。
——眩しいなあと、そう思った。ギザンのきらきらした鳶色の瞳を見ていられなくなって、ネスの青い瞳を見やる。そちらはどういう意図によるものか細められている。責められているように感じて見つめると、瞳の中の私が表情がはっきりと表情を浮かべている。泣きそうな顔、というやつだ。
幼馴染が次へ次へと進んで行くのに比べて、私はここでぐるぐる回っている。

「頑張ってね。絶対に死なないで、っていうのは無理だけど努力はしてよ」

「いやキミも一緒に来ないかって言いたいんだ」

ネッサンの瞳の中の私が、口をポカンと開けた。私は表情筋が未発達なクチだと思っていたが、存外にころころと表情が変わる。我が事ながら驚きだ。

「私、狩人としてはかなり未熟だけれど」

「キミ、狩人になりたいわけじゃないんだろ」

習い性のように唇を噛む。
外側からも"狩人になりたいわけじゃない"ように見えるのだろうか。隠せているつもりだった。とすると、両親も薄々気付いているだろう。また一つ遅れてしまった私に向けて、ギザンは立て板に水で誘い文句を並べてきた。
曰く、ギザンが英雄を目指すようになったのは、きらきらした目で英雄を語る私がいたからだとか。
曰く、今でも英雄を捨てきれずに基礎体力訓練を続けているのは知っているとか。
曰く、このまま君が腐っていくのは見ていられないとか——
腐っていく。自覚はあるけれど、言葉にされると心臓を貫かれるようだった。

「キミの父さん母さんは確かに立派な人さ。でも、エスにはエスの人生がある。無理に親の道をなぞる必要はないんだ」

ギザンの父親もまた、狩りの技を修めた熟達の狩人だ。彼も、獲物を取らずに帰ってきたことがない。
ギザンにも私と同じような圧が加わっているのは違いあるまい。それでも彼は、親に立ち向かってマスラオへの門を叩いてみせた。あるいは、こうして同居している以上は合意の上なのかもしれないが。
私にできないことをやってのけた彼を、羨ましいと思っている。
習い性のように唇を噛む。

「キミもそうするんだ。英雄への道を、ここから始めてしまえばいい。せっかくセリアンらしくない視座を持っているんだ。もっと広い世界を見るべきだよ」

キミならそれができるから。誰にも辿り着けないところまで行けるから。きらきらした鳶色の瞳が、そう語っている。その瞳の中の私は、無表情に戻っている。
やはりよく分からない。この男は私の何に価値を見出しているのだろう。確かに、今知っている戦闘技術は私が望む「何か」ではない。だから今は本気を出していないだけ。いずれ来る雄飛の時の為に今は雌伏していると言えないこともない。——負け惜しみだという自覚くらいある。
しかし雌伏と言う以上、私は確かに鍛錬を欠かしていない。ただしそれは何かに特化した訓練ではない。弓には弓に、刀には刀に適した肉付きというものがある。私はどちらでもなく、ただ体幹や持久力など、常に問われうるものだけを鍛えている。
いつか、私が望む何かへの道が開ける時が来るかもしれない。夢を割り切って狩人の道を進むときが来るのかもしれない。いずれにせよ、夢と現実に折り合いを付けられない豚に出来るの地力を高める事だけだ。

「ダメだよギザン。それはダメ。父さんと母さんは、私にこそ狩り技を伝えたいって言ってる。それを裏切るのは、私にはできないよ」

「ネス、はっきり言うけどキミはもう両親を裏切ってる」

うるさい。黙れ。自覚していても認めないようにしていた急所を突くな。いいマスラオになったものだ。言われなくても分かっている。両親が私にもどかしさを感じていることなど、私自身が知っている。彼らは、まだ未熟なんだから出来なくても仕方はないと言ってくれる。言い訳の裏を知りながら、期待してくれている。でも私は知っている。私は素質が無いのでも未熟なのでもなく、熟す気がない腐った果実なのだと。
こんな卑劣な裏切りがあるか。そうだ。私は両親と、その期待を裏切り続けている。いっそ、私を見捨ててくれればいいと思う。彼らは優しいから、それをしてくれないけれど。
誰も私の代わりに決断してはくれない。
だから、選ぶのは私だ。今のままでは取り返しの付かない終わりを迎えるだろう。両親にも見捨てられて、手には何も身に付かず、失敗を重ねながら日々の糧だけを得て腐っていく。ギザンの言う通りに。
それだけは嫌だ。私のなりたい何かは、そんなどこにでもいそうな何かではない。もっと、きらきらした何か。
習い性のように唇を噛む。
——目を伏せた私の頬を、ネッサンの右前脚が張り倒す。

「ほぶっ!」

猟犬の膂力は魔物に伍する。爪を立てて引き裂けば比喩でなくほっぺが落ちるところだ。何をしてくれているのだこの犬は。いい加減このワンコロにも上下というものを教えなければいけない。勿論私が上だ。ネッサンの顔をわっしと掴んで、うりうりと頬肉を伸ばしたり縮めたりして、ネッサンがイヤイヤと逃げ出そうとしている。ふと気づくと、ネッサンの瞳の中の私が笑っている。
私って笑うんだなあ、と思った。なぜ私は笑っているのだ?
少し考えて、思い当たるものがあった。私には、並び立ちたいと思える相手がいてくれる。もやもや悩んでいると、それを掻き消す相手がいてくれる。
物理的にほっぺを落とすところだったからという、自分でも理屈が通っているのかいないのか分からない経緯で、諸々に整理がついてくのが分かる。

ギザンと自分を比べて恥じ入るのは、きっとギザンと私は並び立っているべきだと思うから。だから、ギザンがアイオリスの世界樹に行くのならば私もそうすべきだと思った。
理屈が通っているのかどうか、どうも良く分からない。しかし、今ここに限れば理屈などに大した価値はない。大事なのは、何かになれるかどうか。きらきらした何かになれる予感を覚えるかどうか。それだけだ。そして私の予感は、ここは彼の手を取るべきだと言っている。
私がなりたい何かとはなんだろう。それは今でも分からない。きっと、それになった時に初めてわかるのだろう。

「だけど、それは狩人じゃない」

前から知っていたけれど、言葉にすればそれはすとんと私を塗り替えた。
自然にまろび出た言葉を自覚して、冷たいものと熱いものがこみ上げてきた。目頭が水を流したがっている。どちらの熱が原因なのかは分からないけれど、宣言することで私の中で何かが変わった。変わる前の私を惜しんで、今の私が涙を流している。のかもしれない。
本当に、無駄な時間を過ごしたものだ。もっと我儘になればよかった。両親に向かって、私がなりたいのは狩人じゃないと絶縁状を叩きつけてやればよかった。というか弟子でもとればいいのになんで私に固執するんだ。
だが、これもまた必要な時間だったのだと思う。私はきっと、もやもや考え続ける癖を捨てられない。自分を見つけるための、必要な時間でもあったのだ。
弓に似ている。引き絞って力を溜めなければ矢は放てない。今までのもやもやは、私が番えられて引き絞られる時間だったのだ。故に、今ここで一矢となって放たれる。夢を追おう。その先でもこれといった道を見つけられないかもしれないけれど、勧められたらなんでもやってみよう。あるいは死ぬかもしれないが、そんな事は気にしない事にしよう。今日死にかけたように、山都で狩人をするにしても死ぬ可能性はあるのだ。行くも死、留まるも死。ならば行こう。
ネッサン相手にともにゃもにゃしたなんかを繰り広げたあと、絞り出すように独り言を吐いた私。ギザンから見ると意味が分からない一幕だったかもしれない。

「うん。キミがなりたいのは狩人じゃない」

「うん。私がなりたいのは狩人じゃない」

それでも、普段のようにからかいの色を出さず、どこまでも真摯にギザンは言う。鳶色の瞳はきらきらとしていて、立ち上がった私をまっすぐ見上げていた。
彼の瞳の中の私の亜麻色の瞳も、なんだかきらきらしているように見えた。だからきっと、それでいいのだ。あるいはずっと、それだけでよかったのだ。
覚悟は済んだ。始末をつけて旅に出よう。
うん、ひとまず、匂いが強くなってきた内臓を洗いに行くところからだ。

 

 

夕食の場で、アイオリスに行くと切り出した。
狩人として力を付けたくなったのかい?と聞かれた。
否を叩きつけて、初めて壮絶な親子喧嘩をした。唾を吐き散らしながら木匙を投げ合う。臓物煮の入った皿を投げないのは、狩人の家に生まれ付いた者の良識だ。
元々から狩人の調練は程々に汎用的な肉体改造をしてきたのもあって、両親は薄々気付いているのだろうと思っていた。しかしそんなことはなく、両親は私の想像よりも私を信頼していたらしい。
あるいは、薄々気付いていたけれど、言葉にして狩り技の継ぎを否定されたのが嫌だったのかもしれない。私だってイヤだ。両親の技は素晴らしいと思うし、それを継げればどれだけよかったろうと思う。
でも、もっときらきらしたものになりたいのだ。だから、命を捨てに行く。
武人めいた私の宣告で、両親は過去一番に顔を歪めてしまった。
命はチップだ。話に聞く祈りの民(ブラニー)は賭け事が好きなのだそうだ。質実剛健を以て良しとする山都の民(セリアン)では賭け事は好まれない。
しかし、取引において出せるものと得られるものが合わないならば、更に何かを上乗せするほかない。祈りの民(ブラニー)はその何かを運としているだけ。やっていることは、山都の民(セリアン)とそう変わらない。
そうだ。私は、何かになりたいという夢がある。何もかも至らない私にとって、命を差し出すことは最低限度だ。
命も縁も、何もかもをチップにすることにした。ごめん、父さん。ごめん、母さん。私の事を恩知らずと軽蔑して欲しい。そのくらい蔑されるのが私には相応だ。
それでも、夢だけは捨てられない。
腕をつかんで説得にかかる父の股間を蹴り上げて、着の身着のまま私は駆け出した。首元から膝までを覆うワンピースツイードを腰紐で縛り、革靴を履いて逃げ出す。弓の訓練の後だったので、結果的には弓も携えて。
ギザンに並び立つんだ。まずはそこを目標にやっていこう。何かになるために。もやもやした夢に至るために、何もかもが不確定な死出の旅を始めよう。オン、とネッサンが吠えた。ついてくるらしい。何を考えているのか分からない相棒だが、道連れが多いのは良い事だ。
もう、習い性のように唇を噛む必要はない。
私は、何者かになりたいという夢を捨てられない。
だから私は、アイオリスの世界樹と、その果てを目指すことにした。
命は要らない。父母とその期待と伝統を裏切った私には、夢になるか死ぬか以外の結末はあるべきではないのだから。

 

 

アイオリスに到着して、ネッサンともども泥や垢にまみれた姿で冒険者ギルドに登録した私に、心配げな顔をしてギザンが話しかけてきた。先に到着して、既に別の一党に所属していた彼が言うには、私の分の路銀も用意していたらしい。
そういう事は先に言え。腹が立ったので、腰を入れて全力で頬を張ってやった。重装のギザンが水平に吹っ飛ぶ。やっちゃった。「ごめんやりすぎた!」
彼の一党が血気立ち、ギザンは気絶し、私はギルドマスターのエドガーさんに取り押さえられた。
皇帝ノ月1日。私の冒険は、このように幕を開けた。